自死遺族になってから…半年と半月くらい。
このブログのつれづれ日記や、ツイッターで支えてくれている方には、私の実生活が基本的にはまだ暗い…ことが伝わっていると思います(;^ω^)
- 心から笑える日なんて来ないだろう
- 楽しいことも楽しいと感じられない
- 日々生きていることが空虚
自分自身を含め、同じような気持ちのかたへ願っていること。

ただただ、無事に過ごせますように。
笑える日が来ないと決めつけないようにしよう。
この先がずっと不幸だと思いすぎないようにしよう。
前向きじゃなくても、好きな向きで過ごせますように。
幸せになりたくなくても
穏やかに、楽しい瞬間も、笑える瞬間も、感じとりながら生きていけますように。
心から笑える日は来ない気がする人へ【無事に過ごせますように】

私と同じ自死遺族の方の中には「自分はもう幸せになる資格はない」という心境の方もいらっしゃるかもしれません。
また笑えるようになりたいとか、幸せに生きていきたいなどとは、考えていない場合もあると思います。

私はそのタイプでした…

ママ、寝る前のあいさつの「また明日ね」って絶対言わなくなったよね…

夜から朝が毎日怖くて。明日が来てほしくなかった、明日の約束なんてしたくなかったの…
👆これ。元気な状態の人からしたら…共感のしようがないくらいのどん底ネガティブだと思うんです(;^ω^)
どん底ネガティブになってしまい、現実の人間関係が激減しました。そりゃあそうです。ポジティブ状態の人を、引きずりおろす勢いのどん底ネガティブ。
清々しい朝だぁ~☆(/・ω・)/おはよう~☆って声をかけたら…
息も絶え絶えで、地雷たっぷりの(夫・子ども等、特定のキーワードが出ると、切ない表情になる)日常会話のどこで傷つくかもわからない人とは怖くて会話できませんて…。
止まらぬ自責・出られぬループ
失ったのは大切な人です。
当たり前ですが、命は取り返しがつきません。
こうしてあげればよかった、こうしなければ良かった。自分がもっとしっかりしていれば、自分が気づいてあげられれば良かった。
なぜ、こうなったんだろう。どうして、思いとどまってくれなかったのだろう。
なぜ、助けを求めてくれなかったのか。なぜ、一緒に乗り越えようと思ってくれなかったのか。
考え方は、ひとそれぞれではあるものの…無限のなぜ?が止まりません。
ゴールのない思考の道が出来てしまい、負のループからはほぼ脱出不可能。意識的に考えるのをやめない限り、考え続けてしまいます。
幸せになることの罪悪感
この気持ちには、みちすじが複数あると思います。
- 自分が幸せになる資格はないという、自分を責めて罰する感覚。
- 自分が幸せを感じた瞬間を認めがたい、不幸であることに固執する感覚。
これらが心にある限り、今後の自分の幸せを願うことが難しくなります。
幸せになりたくなくても(←しつこい)
幸せを避けることはせず、いつか幸せを感じる瞬間が訪れたときに、幸せを受けとめられますように。
無事に過ごせますように
はぁ?と思われるかもですが…(;^ω^)
無事に過ごせることは、まぎれもなく幸せだと思うのです。
心はそう感じ取れなくても、とても幸せな恵まれた事実だと思うのです。
個人的には、海鮮丼を食べたり、オーケストラを聴きに行ったり、美術館へ行ったり、ぬいぐるみコーナーを見ている時などが幸せですけれど(笑)
特別に何かをしなくても、怪我も病気もせず、無事にその日を終えることが、どれほど幸せな事だろうと、強く思います。
夫があの日、無事に帰ってきていれば…。大切な人が無事に今も生きていれば…。他愛のない事でも、当たり前の毎日も、どれほど幸せだったことでしょう。
生きていることが不幸だと、暗闇だと、明けない夜のようだと…そういう気持ちの人がいたら…まぎれもなく不幸なのでしょう。
開ける見通しのつかない夜。
止む気配のない雨。
どの道を選べばいいのか、わからない日々。
今は、楽しくもなく、幸せでもなくても。誰もが、無事で今日を終えますように。
また明日。おはようと、朝を無事に迎えられますように。

生きる先に、誰もが幸せを感じる瞬間が訪れますように。