明日は、私の父の命日です。
ちょうど一年前の夜、枕もとのスマホが鳴り、病院へ駆けつけました。
父の死因は胃癌です。発見時点でステージ4。病巣の出血が止まらないことによる貧血の進行を、軽減させるための姑息手術を受けました。予想された余命よりも長く生き、亡くなる10分前の看護婦さんの声掛けに(口元拭こうか、とかの看護の声掛けだった気がするな…)「今はいい」と返事をし。まさかの急変で、空へ旅立ってしまいました。
私にとっては、気力と体力のある父で。私が幼いころから、父は交通事故で足を何度も骨折しています。そのたびにリハビリに励み、すごい速さで仕事に復帰する父の姿を見続けていたためか、父は不死身の存在である。
そう思い続けていました。
そんなわけ、あるはずないのにね。
ココアケーキを焼きながら…今日は母と夜まで一緒に居ようか

今は、オーブンでココアとくるみのパウンドケーキを焼きながら、このブログを書いております。
いつもならば、ブログに載せるための写真を撮影して、写真のサイズ縮小と加工をして、写真データの圧縮をして(ページの容量を軽くしたいから)…としているうちに
「書きたいこと、わかんなくなっちゃった」
なんて、結局のところ。書きたい本心なんて書けないまんまで、謎のページを書いては終わることばっかりなのですが。
今日はね。
写真、とらない。とるけど、ブログに載せなくていいや。
気持ちだけ、書いておこうか。
生きている者に花束を
私のはじめての死別経験は、夫の母親。私からしたら「お義母さん・姑」という事になります。
結婚当初からの同居だったため、色々苦しい思いをしたものの。
お義母さんがとても優しい人だったから、同居が成り立ったものだと思っています。
二十歳そこそこの、ロクに料理も作れない当時の私を、嫁としてというか…娘のように接してくれた優しい人でした。
闘病の末、空に行ってしまい。落ち込んでしまったお義父さんが、よく花を供えている姿を見て。
「人って、死んだ人にばかり、お花をそなえてる。」
「お義母さんに、生きているうちに全部この花を見せたかった」
「生きているうちに…花束を届けたい」
ひねくれもの?かもしれません。
私はそんな風に、感じていました。
だめだよ。お義母さん、お花大好きだったじゃない。仏壇じゃなくてさ。葬式の棺じゃなくてさ。
生きているうちに、記念日でも何でもない日でも。お花を見せてあげればよかったよ。
なので。
明日が命日の、私のお父さんへ。
これから花束を買って、お墓に向かうけれど…。お母さんのための花束をメインで買うのを、許してね。
お母さん。この一年、ツラかったはずなの。お母さんが元気になる花を多く買わせてね。
で。お父さんへは「うまいなぁ」といつもほめてくれたお菓子を焼いているから(笑)それと、たばこ買っていくから、それで許してくだされな。
スタバに寄ろう…暖かい飲み物を

スタバにね。寄ってまいります。
楽しみにしております。
元気が出なかろうが、悲しみが消えなかろうが。
温かい飲み物を飲んで、ホッとしてきます。
たまには晩御飯…お母さんと食べよう
ブログとはいえ「母」と表記するほうが一般的なのでしょうが。
お母さん~。と表記いたします(*’ω’*)
お母さん。今は一人暮らしです。
お母さん。何食べたいかな?食べに行こうかな、お弁当を買ってこようか。
何か作ってあげようか。
何にも決まってないけれど。これから、実家へ向かいます。