こんにちは。てとてです。
夫が亡くなってから、2年が経ちました。

まだまだ毎日
夫の事を考えます。
この2年。
後を追わずに生きていて良かったです。
もし。大事な人を失ったばかりで、どうしようもない気持ちの方が居ましたら。
頑張れとも、生きろとも、死ぬなとも言えませんが。
気が向きましたら、このページを眺めていってください。
自死による死別後に変化したこと・3つ

私は夫を自死で亡くした『自死遺族』です。
死別後、自分の中でいっぱいになった考えや起きた主な現象は以下の3つです。
- 自責の念しか浮かばなかった
- 後追い願望が消えなかった
- 未来の約束が出来なくなった
そして、その3つは今…
- 自責の念を横に置けるようになった
- 生きていて良かったと感じる
- 未来の約束も出来るようになった
こんな感じです。
たいした変化でもないのですが、生きていくにあたって大事な精神面の変化です。
この3つを、ひとつずつ話します。
自責の念を横に置けるようになった

夫婦仲も良く、結婚生活は17年。
亡くなる当日の朝も、元気に家を出ていった夫。
「行ってらっしゃい」「行ってきます」と玄関でお見送りした時の笑顔が、夫との最後の記憶です。
朝帰りを1度もしたことのない夫が、その夜は帰って来ませんでした。
連絡もなく帰ってこない事自体、事件か事故に巻き込まれた可能性が高いと想像し、強い不安に襲われました。
そこから、二度と夫と会えない日が続いております。

なんで私は
何も気づけなかったんだろう
もっと夫の悩みに気付ける妻だったら。
もっと夫が相談できる頼もしい妻だったら。
夫はこんな道を選ばなかったかもしれない。
夫にこんな道を選ばせてしまった要因の大半は、私にあるに違いない。
私と一緒になったから夫が幸せになれなかったのだ。
この自責の念はとても強力で、死別後ながらく私の脳内を占有しました。それはもう、実際うつ病になるほどでした。

病院へ行って
治って良かったでチュね

うん。
良かったよ。
2年経った今。
自責の考え方自体は変わらないものの、常々自分を責めることは無くなりました。
家事・仕事・勉強・運動。
やるべき事・やりたい事に集中出来るようになりました。
要するに…暇だとロクな事考えないから、忙しくしておく事が身に着いた!とも言えます。
生きていて良かったと感じる

夫にこんな道を選ばせてしまったことを、自分の責任だと考えると
「生きているのが申し訳ない。死ぬべきは自分だった。生きるべきは夫だった。」の考えにパワーアップします。
そのため、自分が事故や突然の病で急死すればいいという望みを持つようになりました。

明日なんて来なくていいと
考えてしまってました
でもね。
この2年。お義父さんも私も頑張った。
そして、子供たちも頑張った。
頑張れなくても仕方ない状況の中、どれほど全員頑張ってきたことか。
まだまだ力不足の私ですが、どうにか家族を守っていきたい。
生きていきたいです。
生きていきたいという気持ちになれたことが嬉しいです。
生きていて良かったです。
後を追わなくて、本当に良かったです。
未来の約束も出来るようになった

死別後しばらくは「明日なんて来なくていい」と考えていました。
子供との毎晩の挨拶である「おやすみなさい」「また明日ね~」のやりとりが苦痛でした。
明日なんて望んでいないのに、明日が来る絶望。
これから毎日頑張り続けても、二度と夫に会えることはない絶望です。
夫に二度と会えないことをほんの少しも受け入れられなかったので、明日の約束さえも出来ない状態だったのです。
しかしこれも、生きていて良かったと思えるようになった今は「春になったら」「来年は」等、近い未来の約束が出来るようになりました。
これもね。人から見たら馬鹿馬鹿しいかもしれないけれど、私の中の大事な変化の1つです。
時間が解決してくれることは無いけれど
『時薬』の「時間が解決してくれる」の表現には、私は当てはまらなかったけれど。
時間が経って振り返ってみるとね。
1日ずつ、死なないで生きた実績があります。
家族や友人に支えてもらった日々があります。
まだ、放り出してはいけない大切なご縁がある事に気付きます。
無理に前向きになる必要はありません。
何も出来ない日が続いても良いです。
大切な人を失ってしまうと、1日ずつ日々を過ごす苦しみは身に沁みています。
身に染みている人が、この世にはたくさんいます。
どうしようもない夜は。
せめて体を冷やさぬように、思いつめませんように。