とうとう、夫を失ってから8回目の月命日を迎えました。
👆こちらは、半年経過時に記録したページです。
半年経過時に比べたら「生きることに慣れてきた」と言えばいいのか。
悲しくても笑顔でいることや、ツラくてもそう見えないようにふるまうことに慣れてきました。

外面も内面も、ととのってきました。
仕事中や、家のことをしている時など。集中をしている時間は、夫のことを思い出すこともだいぶ減り、会話中のキーワード(旦那さんや夫婦の話)で、泣きそうになることも無くなりました。
大切な人を亡くした遺族のかたがたも、日にちが経つうちに、笑顔で過ごすことに慣れてきた方もいらっしゃるのではないでしょうか(*’ω’*)

でも…ひとりのときは、まだ暗いでチュね。
うーん。
それは今の課題です。
生きることに慣れてはきたけれども、生き抜く覚悟を決められたわけではない。そんな感じ。
【生きる覚悟はいつできる?】8回目の月命日を迎えて

生きたくない。
もう生きていきたくない。
こんな強い気持ちに襲われることも、未だによくあります。
最近うすうす思っていること。
自死による死別の精神ダメージは、寿命や病気によるものとも違い…「死んでしまいたい気持ちに襲われることは普通。むしろ当たり前。」(;´・ω・)
※死別の悲しさは比べられないものであることは前提です💦
大切な人が、自分の命を終わらせる決断をしてしまった。その決断をさせてしまった。そう考えていることを知らなかった。あるいは、わかってあげられなかった。
これら全て。終わりのないもの、答えの出せないものであり、強い自責を生みだしてしまいます。
そうすると「私がダメな人間だったから」「私と出会わなければ良かったのだ」という気持ちになってくるし。
「居なくなったほうが良かったのは私」「神様、生きているのを私と夫、逆にしてください。」とお願いしちゃったりします。
(神様なんていない、って思ってるくせに)

テトテは、しばらく食事をとることを嫌がっていましたね。

最近は、過食になりました。
生きるための努力
- 仕事を頑張る(安定収入)
- 人付き合いを頑張る(最低限の処世)
- 家計簿の管理(新しい収支バランスの構築)
- 健康管理(いのち大事に)
- ブログ書いてる(精神の安定をはかる)
以前よりも「ちゃーんと生きるぞっ!」と思っています(*’ω’*)
7割くらいは生きる気持ちで、3割くらいがダメな気持ちです。マイナス思考に陥ると、半々になって心が揺らぎます(弱い)
生きるのやだよぉ、とか言いながら。ちゃっかりバッチリ、歯磨きとかも頑張っております(/・ω・)/

一般人も、歯が命ですからね。
生きるのをやめるための努力
- 相続関係の書類を完全に終わらせる
- 自分が亡くなった後の手続きガイドを作成(子供への伝達)
- 遺言書を作成予定
- 終活(自分の物の処分)
「夫の働いたお金で買ったものだから」という気持ちが強いので、衣類やバッグは捨てられないのですが、少しずつ自分の不要なものを処分しています。
夫の遺品は、どうしても減らせないのが不思議なところです。
そして、自分が現在通勤で使っている車両。これは、いざとなったら自分の棺にしようと思っています。ちゃんとメンテナンスして、洗車もたまにはして…大事に大事に乗るのです。

ナビに、夫と一緒に出掛けたルートが映ってるし。絶対買い換えないもん!
もはや、努力家である
なんといいますか。
揺れる思い~♬体中感じて~♬(ZARD)
生きる気持ちと、生きられない気持ちの間を、行ったり来たり。揺れまくりです。
努力の方向が2方向あるぶん、すごい努力の量。
すべての自死遺族。1日ずつ、やりすごしながら生きている。精神を持ちこたえさせながら生きていることが、尋常じゃない努力のたまものです。
生きているだけで、努力しまくり。
努力しっぱなしだと疲れるから
- 努力できない日の自分
- 落ち込んで回復できない日の自分
きっと、努力しっぱなしの反動です。
そんな日くらいは、自分を責めるのもお休みしましょう。
自責の休日
どうせ、自分を責めるなと言ったところで。自死遺族の皆様は、基本的に自分を毎日責め続けるでしょう。
心も週休2日制
週休2日は法律っぽいから(笑)
そのくらいなら、自責を止めても良いんじゃないかな。
なんて。
なんの話だ、今日は(;´・ω・)

ちょっと、元気になってきたみたいで安心です。
うん。
半年の頃よりは、傷が癒えているよ。